世界に報いるニートの叫び

失うものを持たない僕の遠吠えを聞け

選挙で投票行かないのって、宝くじ買って当選発表見ないのに似てる

違いを探し出したらキリがないけど、なんか似てない?という話

 

大学で聞いた話

これは大学時代に聞いた話。

政治を教え、研究しているある教授。なんでも彼女は期待値を考えて投票に行かないのだそうだ。

職業的に政治と関わっている、おそらく日本でもトップクラスに政治に関心のある人でさえも、選挙に対してそんな距離感なんだと衝撃を受けた。

いや衝撃といったら言い過ぎか。でも思わず「へー」と声が出た。

 

でも考えてみれば、自分の一票で何かが変わるなんて思える人の方が特殊なのかもしれない。

 

一票の価値

人口の過疎・過密化が進む現代日本では、「一票の格差」が深刻な問題と言われて久しい。

なんでも人口の違う首都圏と地方では一票の重みが大きく異なっているという。「〇増〇減」やら「違憲状態」やらうんぬんかんぬん。

でもあくまで個人的な感覚では、風が吹けば飛んでいきそうな僕の「一票」の重みが4倍5倍されたところで、そんなの軽いまんまだろうと思う。

数万数十万というチリが積もって初めて山になってるなかで、たかが数倍されてもそれはホコリのままだろうと。

 

まあ確かに、1万票の人が受かってるのに100万票で落ちてる人がいたら流石にどうかと思うし、あくまで程度の問題なんだろうけど。

 

選挙のクソなところ

選挙のクソなところは、結局「誰が一番マシか」みたいな選び方するしかないところだ。

国会って、ただ金持ってるだけの奴とか、汚い金儲けが生き甲斐みたいな奴とか、目立ちたがりの延長で議員になっちゃった奴とか、ろくでもない奴らがうようよしてるんだろう。

だけどその一方で、本気で何かを変えたい一心で政治家になった人もきっと少なからずいるんだと思う。

でも、今どき何かを変えたくて政治家になろうとする奴ってきっとそいつこそ本物のバカなんじゃないかと思ってしまう。いやよく知らないけどさ。

 

とにかく僕は、実のところ多少金に汚いくらいならまだマシなんじゃないかと思っている。

そもそもまともな人間が選挙に立候補なんてするわけがないんだからさ。「お金が好き」なんてまだ普通の人間って感じじゃん。

前の都知事が家族旅行に公用車を使ったとか、公費で絵を買ってたとか騒がれてたけど、もはや可愛らしいとさえ思ったよ僕は。

二世議員とかも見てるとイライラするけど、まだ自然な動機だよね。「パパがやってたから」っていうのは。

 

射幸性

ここまで書いてきたことからわかるように、僕は選挙に行く意味なんてほとんどないと思っている。

参政権を得るために宝くじ1セットよりもずっと高額の税金を収めているのに、その使い道を決めるはずの選挙には行かない。

でもその一方で、宝くじの当選発表は噛り付くように見る。

 

思い切って3000円という大金を払って買った10枚セットの宝くじは、一生楽して暮らせる人生へのフリーパスに見える。

普通選挙を求めて闘った先人達の血の滲むような努力の甲斐あって、いま僕のもとにある投票券的なやつは、ただの紙切れにしか見えない。

その違いはどこにあるんだろう。

 

まあ考えるまでもなく投票することで何か得になるとは思えないってとこだよね。

宝くじのカスみたいな期待値よりももっとカスな期待しか持てないところ。

 

投票した有権者にはお得なチャンス!

そして、宝くじの10分の1の確率で300円当たる(戻ってくる)ってのは実は意外に大きなインセンティブなのかもしれない。

じゃあ、選挙行くと投票所で500円キャッシュバックとかやったら、確かに投票率は上がるだろうけど、とんでもない結果になりそう。

まあ最近ケータイ会社がやってるドーナツ無料とかのクソみたいなキャンペーンをみてると、200円でも十分か。おまけで投票もできますみたいな。並んでる間に候補者のこと知りたい人は調べてさ。

 

あ、でも年賀状のお年玉くじみたいに、使用済み投票券で抽選とかやったらおもしろいかも。

まあただ投票行けばいいってものでもないし、問題の本質は投票率の低さじゃないわけだからいいんだけどさ。

 

 

あとがき

ちなみに僕は今回投票いってます。

あと宝くじも買ったことないです。

もうこの記事は一体なんなんだっていうね。

 

いつもこういうクソ記事書くと投稿するの迷う。

推敲したりするのもめんどいし、基本はクソ記事だからこんなのの下書きばかりが増えていく。